牙は歯が極端に伸長したもので、その形状は動物種ごとに様々です. 「牙=犬歯が発達したもの」と思われがちですが、動物種ごとにどの歯が発達して牙になるか、違いがみられます. 切歯骨から生じる「切歯(門歯)に由来する牙」と、上顎骨から生じる「犬歯に由来する牙」に分けられます.
「切歯骨に由来する牙」の代表は、アフリカゾウLoxodonta africana の雌雄, インドゾウ Elephas maximus の雄, イッカク Monodon monoceros の雄などにみられます. イッカクは、北極海のみに生息するハクジラの1種で、通常、上顎の左側の切歯が1本生えてきます 「一角」と書き表されますが、勿論、「牙」です.
一方、「犬歯に由来する牙」の代表は、イヌ Canis familiaris , ライオン Panthera leo , トラ Panthera tigris , セイウチ Odobenus rosmarus の雌雄, そしてイノシシ Sus scrofa やバビルサの雄などにみられます.
Varieties of Tusks 牙の多様性
Function of Tusks 牙の役割
牙は、動物種ごとに様々な用途に利用されています. ライオンやオオカミの牙(犬歯)は、「威嚇や、獲物を仕留めて肉を切り裂くための武器・道具」として. セイウチの牙(犬歯)は、主食の二枚貝類を採る際に、「海底の砂を掘るための道具」として. ゾウの牙(切歯)は、長い鼻とともに「木の枝を折ったり、樹皮を剥がすための道具」として. イッカクの牙(切歯)は、「雄同士の闘争の武器」として.
それでは、バビルサの奇怪な牙には、どのような役割があるのでしょうか? 古くから様々な説が唱えられています.
1854年からの8年間、マレーシアとインドネシア各地を訪ねて動物相の概要を明らかにしたAlfred
Russell Wallace (アルフレッド・ラッセル・ウォーレス)は、著書『The Malay
Archipelago (マレー諸島)』、(新妻昭夫 訳)のなかに次のように記述しています.
「この異様な角のような歯をなにに使うのか、理解するのはきわめてむずかしい. 古い文献の一部は、この牙は鉤のようなもので、バビルーサはこれを枝に引っ掛けて休息できるのではと推測している. しかし、この牙が眼のすぐ後か前で方向を転じていることから考えれば、ラタンなどの棘だらけで絡みあったやぶのなかで地面に落ちた果実をあさるとき、眼を守る防具となっていると考えたほうがよいかもしれない.」
それに続けて、ウォーレスは、牙をもたない雌バビルサを上手く説明できないことから、「眼の保護」説を否定しています. さらに、次のような自説を続けています.
「私としてはむしろ、この牙はかつてはよく使われていて、そのときには伸びるまもなく磨耗していたのだと考えてみたい. ところが生活条件が変わって牙は必要なくなり、いまでは怪物のような形に発達してしまうようになったのである.」
マレンゲ島の島民によると、まれにトギアンバビルサ(Babyrousa togeanensis)の雄の成獣が下顎の牙を器用に使ってココヤシの果実と種子をこじ開けて、内側の胚乳を食べることがあるそうです.
Macdonaldらによると、雄バビルサ同士の闘争の観察から、上顎の牙を武器として用いることはないそうです.
Claytonらは、スラウェシ島の北半島でのセレベスバビルサの観察に基づいて、牙の重要な役割を報告しています. 発情した雌をめぐって雄同士が闘争する際には、体格がよく力の強い優位な雄が自分の頭を劣位の雄の顎の下に入れて、先端が尖った下顎の牙を相手の首筋に突き付けます. つまり、下顎の牙は武器として用いることができます. しかし、Macdonaldらの報告同様に、上顎の牙は武器として用いられないそうです.
また、「上顎の整った牙をもつ雄」と「上顎の牙を失った雄」の間には、闘争が起こらず、「上顎の整った牙をもつ雄」が交尾の機会を獲得し、子孫を残せるのだそうです.
つまり、雄バビルサの世界では、「体格」と「上顎の牙のサイズと形」が雌獲得の条件になります. そのため、ライバルを減らして繁殖の機会を得るために、雄バビルサ同士の闘争では下顎の牙を相手の上顎の牙に絡めて首を回転させて、相手の上顎の牙を折ろうとするのだと考えられています.
どうやら、雄バビルサの巨大な牙は力強さと健康状態の指標であり、雌バビルサを魅了するシンボルのようです. 筆者も、雌バビルサの気持ちが少々理解できます!
英国のCharles Darwin (チャールズ・ダーウィン)は、1859年に『On the Origin
of Speices by Means of Natural Selection (種の起源)』を著し、生物進化の要因は自然選択(自然淘汰)であると主張しました.
その後、ダーウィンは、雄クジャクの長い飾り羽の進化を説明するのに苦労したようです. 雄クジャクの飾り羽は目立つため、捕食者に狙われやすく、逃走にも不利だと思われます. そのため、ダーウィンの説ではそのような飾り羽は進化しないことになります. この進化を説明するために、1871年にダーウィンは「性選択(性淘汰)」の理論を公表しました. それは、雄クジャクの飾り羽がたとえ不利だとしても繁殖期の雌をより強くひきつけることができれば、やがて多くの子孫にその長い飾り羽が広まるので、より一層目立つ飾り羽へと進化していくという考え方です.
イスラエルのAmotz Zahavi (アモツ・ザハヴィ)は、1975年にハンディキャップ原理、すなわち、「生存に不利になる派手な性質が進化したのは、その不利な性質(ハンディキャップ)を持っているにも関わらず生存できるほど、他の面が優れていることを示すものとして雌に好まれるからである」という考え方を提唱しました.
ここでは、バビルサの上顎の牙の進化にハンディキャップ原理を適用してみましょう. 雄バビルサの牙は、過度に発達して視野を遮り、生存に不利な性質だと思われます. それにも関わらず生存競争に勝ち残って雌の前に存在しているということは、生存力が優れた雄である証です. この理由から、上顎の牙が小型の雄よりは間違いなく大型の牙をもつ雄の方が優れていることになり、雌に好まれて繁殖の機会を得られるため、巨大な牙がバビルサの集団内に広まっていきます.
幸い、スラウェシ島には、アミメニシキヘビ(Python reticulatus ), インドニシキヘビ(Python molurus )やジャコウネコ科に属するセレベスパームシベットMacrogalidia musschenbroeki (英名 Celebes palm civet, Giant palm civet)以外には、子バビルサの捕食者がおらず、またバビルサの生息地にはパンギノキ(Pangium edule )やイチジクの仲間(Ficus sp.)などの多種多様な果樹が豊富なエサを提供しているため(提供していたため)、たとえ雄バビルサの牙が極端に巨大化しても、森林での生活上、不都合が生じなかったのでしょう. また、他のイノシシ科動物と同様にバビルサは嗅覚を発達させてきたため、たとえ視野を遮るほどに牙が巨大化しても、採餌行動に深刻な影響がなく、森林での生存に不利にはならなかったのでしょう.
つまり、バビルサの巨大な牙は、スラウェシ島の数々の好条件に恵まれた生態系だからこそ独自の進化を遂げられた雄のシンボルなのです.
Evolution of Tusks 牙の進化
雄バビルサの牙は、なぜ視野を遮るほど巨大に発達してきたのでしょうか?
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Evolution of Tusks 牙の進化 |
<フィールド1>last modified: 17 September 2007 |
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