◎私はここだ
2004/10/2(土)22:30
見よう、見まねでもよい、最初のうちはそれでよい。とにかく貴方が今思った、今、考えていることを実行することだ。やってみること、行動してみることだ。貴方のフィルターを解除しなさい、何時もクリアーにしなさい。そして、宇宙、地球を思ってみること、そして全てが溶け合い、混ざり合い、煌く光の海、銀河の帯が無数に連なる空間に貴方は漂っている。もう貴方の意識は貴方の身体もなく、ただこのひとつの壮大な宇宙と一体となる、そして、全てと調和してただある。貴方は誰、私は誰ですか、尋ねてごらん。私は誰にでも答えるだろう、何故、それは貴方だから、そして、貴方が尋ねるから、答えるのだ。ただ、それだけのことだ。
私に会いたいのなら、何時でも、何処でも、何度でも会えるのさ。分かっているだろう。離れることなどありはしないからだったね。貴方がたは、知識としては分かっていて、そして満足している。「ああ、そんなことは、基本さ、よく理解していますよと、いうでしょう。そうそう、全てはひとつですよね。」それでは、聞くが、何時ひとつと感じたのだろう、昨日ですか、一年前ですか、1回ですか、10回ですか、よいですか、私は、瞬間、瞬間、今というときに在り続けるのです。こうして今も、ひとつ、全て、貴方の思う物、貴方の目にするものは全てが私です。貴方なのです。分かりますか、貴方はこの幻想の世界の私なのだよ、全てが、動物、鉱物、植物、惑星、微生物、その大元の原子、中性子、ありてあるもの、全てが私(貴方)であるのです。このことを何度も伝えてきていますね、もう分かりましたか。宇宙の兄弟姉妹達も私の一部であること、大局を見て、達観視すれば、全ては愛の存在なのです。壮大な宇宙活劇であるのです。
もうそろそろ、本当の優しい貴方、愛の栄える、輪に帰還するタイミングですよ。この素晴らしいステージに今あることに、多くの恵みに、奉仕の地球、母なる地球に、父なる宇宙に感謝するときです。そして貴方の最大の愛を今、表現する時です。貴方の心は今、何処に向いているのでしょう、しっかり貴方の内なる私に、錨を下ろしておきなさい。何があろうがびくともしない、強い貴方、不動の心の貴方でいてください。体験のみが貴方の母となるでしょう。私は貴方が呼べば何時でも応えよう、何時でも貴方の杖となろう、貴方が私を必要とするのなら、私に全てを委ねるのなら。さあ準備はどうかな、選ぶのは何時も貴方自身だったね。
ではまた、共にいよう、ありがとう・・愛
汝、貴方は何処を見ているのか、私はここだ、貴方だ、この真実に気づきなさい!
◎自分探し
2004/10/9(土)10:38
皆さん、今日は。何時も読んでくれてありがとう。貴方がたはこのメッセージを読んで、どのくらい理解ができただろう。まだ、半分も理解できていませんか、それとも分かったつもりでいますか。本当にこれは真実なのだろうか、信じて良いのだろうか、まだ迷っているのでしょうか。もし、私を疑うのであれば貴方自身を疑うことです。貴方の存在自体目には見えない、見えているのは本来の貴方ではありませんよ。貴方の乗り物でしたね。あまりにリアルなので、見える貴方が真実の貴方と思うのは無理がありません。よくできているでしょう。
ですが、目を閉じて御覧なさい、貴方は自身が見えますか、貴方の存在は感じますか。さあ、貴方とは、一体何者でしょう。ここのところが肝心ですよ、何度言っても、言い足りないくらいです。貴方がたは見える幻想の世界に浸りすぎています。私の声が聞こえませんか、私は全てにあるのですよ。ある一部の者にしか分からないものでは、ありませんよ。今は以前より、はるかに感度がよくなっているのですから。皆がもし私に気づいたら、この世は、貴方がたが待ち望んだ、愛の星、地上天国となるでしょう。しかし、それまでには、貴方がたは欺瞞を抱き、戦いを経験し、すいも甘いも経験することでしょう。そして、今はこの宇宙の周期の過渡期にきています。いわゆるひとつのそう決算期になり、それからはまた次の螺旋を描いてゆきます。そして上昇、下降、そしてまた別世界へ、私はまた限りなくあります。貴方が把握したとおもった時には、もう新しく全てが生まれています。つまり人参を目の前において走る馬のようなものです。貴方がたが私を理解することはできないでしょう。ただ、感じることだ、そこには思考(雑念は見過ごす)が働かない、そうすると貴方は私に包まれ、共にあり、貴方は私でもあることが、全てが貴方であり、私であることを体験すだろう。ただそれを、分かるのは貴方しかいないということを理解することです。
本来の自分を探し、長い、長い旅にでて、何もつかめずに、がっかりして自分の家に帰る。重い足取り、溜息「あ〜、私は何も分からない」、なんということだ。結局貴方は家(内)に帰り、旅の疲れを癒し、ああ我が家はいいな、なんて落ち着き平和に満ちているのだろう。この安らぎはなんだろう、そうだこの感覚・・・・さあ、この先は貴方が体験することでしょう。私が何をいいたのかわかりますか。貴方とは一体何処に存在するのか、その中心は何処にあるかということです。もっと日々の生活のなかで貴方自身(私)に意識を向け、日常の出来事に歓びをもち、感謝して、全てに愛を差し出して、日々思い残すことがないよう、精一杯生きてまいりましょうということです。ではまたね、ありがとう。神愛なる皆さんへ・・・愛
汝、愛を分からぬと嘆くなかれ、愛とはそなただ、全てだ
ただ行為が迷いの中にあるだけなのだ、善悪に拘るなかれ
◎良心
2004/10/16(土)9:52
始めよう。命の歓び、輝きを見てください。貴方の見るものに優しさを感じますか、貴方の目を通し脳が映像を映し出す。さて貴方は、何を一体見ているのでしょう。そのものの目に写る光を解析しているのでしょうか。良いですか、観るというのは光を読み取る、何で?心で、その本質をイメージに囚われず、感じてみることです。目には見えないが存在の奥を見るようにしてみることです。こつは、貴方自身の心のセンサーにそのものを取り入れてみるようにする事です。相対するものを自分の中にみてみるようにするのです。そうすると、目に見える反応とは違う何かがあるように感じてみるのです。試してみてください。そしてだんだんと、全ての本質が何か見えてくるようになるでしょう。
命は何ですか、愛とは何ですか、自ずと答えが実感できてくるようになるでしょう。貴方の瞳を塞いでいたのは誰ですか、貴方の耳を塞いでいたのは誰ですか、貴方の口を塞いだものは誰ですか。分かりますか、もう本当に、この全体を包みこむエネルギー(愛)が上昇、またどんどん解放される中で、今生の貴方の役目を分かる時ですよ。私との約束を何時になれば貴方がたは実行してくださるのでしょう。世間を騒がせる珍事、愚考、悪意に満ちた出来事、また、自然界の良きパートナー達の怒り、悲しみを貴方がたはどう受け止めているのでしょう。貴方はこの地球、宇宙、大生命の一部ではありませんでしたか。もっと、もっと、物事の本質を見るようにしてください。貴方のドラマの中では、貴方の見たいもの、体験したいことしかでてこないのは知っていますね。そうしたら、今生きているこの状況は、分かりますね。これが、貴方の望んでいる世界でしょうか。もし、違うというのであれば、どうすればよいか、考えてみてください。何が違うのかを。
貴方の心の奥には良心があります、光です、それを今、開けるときではありませんか。この世界を変えることができるのは、貴方の良心、慈しみ、やさしい心ですよ、何かが貴方がたを変えて、新世界に住むのではありませんよ。迷わぬよう、日々感謝と愛の行動で、貴方のやるべきことをしっかりとこなし、遊ぶ時はしっかり遊び、自由自在の貴方であってください。今、を歓びの思いで生きてください。それが平和を創る源となるでしょう。さあ、できるのか、できないのか、実行する主人公は貴方です。誰かではありません、頑張りましょう、皆さん。
では、またね、ありがとう・・・・・愛
汝、ひとつができて全てができることを知りなさい
◎愛一元
2004/10/24(日)10:12
美しいものは、何故美しいと感じるのでしょう、愛しいものは何故愛しいと感じるのでしょう。そこの中に、純粋なエネルギーをそのままを(私の愛を顕しているので)貴方もそのエネルギーをかんじるから、それを目にする貴方も、心和み貴方の中の私を写しみることができるからなのです。今日という日を、貴方はどんな思いで過ごしますか。心穏やかに過ごしますか、それとも貴方の中の、貴方の作り出した、怒りや悩みごと、失敗した過去のこと、これから先に起こることを心配して、苛ついて今日を始めますか。皆さんの今の環境、自然災害、人為災害、台風、地震、これを見て貴方がたは、やっと何かが変だぞ、今まで感じなかった方たちも、少し刺激になっているようです。しかし、まだ皆さんがたの多くは分かっていません。貴方がたは、どうぞこれからは先導役として、共に兄弟姉妹としてこの素晴らしい、地球と共に全存在と共に、命の素晴らしさ、生きることの素晴らしさを、動物の皆さん、鉱物の皆さん、植物の皆さん、見えない存在の皆さん、そしてありて、在る皆さんとひとつとなり、歓びの大調和を、この奇跡の融合を、ともにする意識としてもっていてください。本当の貴方がた(私)に回帰することを思っていてください。
ただそれには、日々私を貴方の一番大切なものと意識していることです。日々の生活の中で、物事に真心をこめて何かを行う時、それが私を無意識に意識していることにつながることを知っていてください。私の仕事(歓び=愛)をしていることに気づいてください。「皆さんの中には一日中、私に意識を向けていることなど、できないでしょう」と、いぶかる方もいることでしょう。ところが貴方が歓び、心安らかにしているとき、気持ちがいいなというときは、私を意識しているのです。何故?、その歓びが私だからです。感謝する時、ありがたいなとおもうとき、微笑みでいるとき、私を意識しているのです。何故?、私はありがとうであり、微笑みなのです。ですから、お花の笑顔、水のせせらぎ、緑の囁き、雲の微笑み、海の心、水の心、空気の思いに私はあります。そして反面教師として、私は全ての状況を、貴方がたの思いをこの世界にも顕わすのです。さあ、私(貴方)の天使の皆さん、これからどんどん貴方がたの真意を見せる場面が多くなってゆくようです。
みな貴方がたは、天使でしたね、そして私(愛)のおもいでしたね、子供は天使と、貴方がたは思っていますね。何故?、まだこの世界には染まっていないからね、特殊能力(本当は通常能力)をもった子供達がたくさんでてはいますが、本来は貴方がたも同じなのですね。忘れましたか、それだけ貴方がたは、進化というが、本当の世界では退化(故意的に)しているのだが・・・・それも貴方を見つけるこの世的な手段に過ぎない、幻想だがね。
さあ、子供(表現)である皆さん、この世界の現象は貴方がたにはとても不安に感じることが多くあるともうが、これは総決算です。そして地球も今まで耐えてきてくれたのです。もう感謝しかありませんね。どうぞ全てにありがとうの思いを抱き続けて、日々を安らぎと歓びで、感謝し、貴方の一日の役割をこなしてください。やっとこのスタート=ゴールといえばひとつの完了なのだ。希望で日々を過ごしてまいりましょう。私は微笑である、完全なる愛であるのです。形ではありませんよ、そして貴方、私、全ては「愛一元」の中にのみ存在する。
次元を超えて、ありがとう、私は皆さんの歓びが大好きです。
ではまた・・・・愛
汝、苦しみは何処に存在するのか、誰が創造したのか、よく考えてみるが良い
◎希望と愛
2004/10/31(日)13:50
始めよう。宇宙のパラダイスは何処にあるのだろうか。貴方はどう思いますか?銀河の果てでしょうか、それとも、もっともっと別の星団でしょうか。貴方がたは、今自分達のいる場所を理解できていますか。この広大な宇宙に青く輝く奇跡の星、地球。貴方がたはどんなに恵まれて今、この星にいるのか分かりますか。頭ではありませんよ、貴方の胸の中心の奥で感じるのですよ、さあ、なんといっていますか。少し静かにして、深呼吸を2〜3回してみてください。肩の力もぬいてみるのですよ。貴方の全細胞は何でできていいますか、目を閉じて意識を解放してみてください。考えるのをやめてみましょう。どうですか、私達は全て愛としてありますよ、歓びとして躍動していますよ、何時も満ち溢れていますよ、っと、いっていますでしょうか。
命を奏でてダンスを楽しんでいるよ、楽しいよ、この宇宙においでよと。「どうしたの?どこか具合が悪いのかい、何がそんなに心配なのさ、僕たちは歓びしか知らないんだよ、愛しか知らないんだよ、だから、貴方のように僕達には不安がないんだ。ただ、生きるそれが歓びそれしかないんだよ。えっ、そんなふうに貴方がたはなれない、何故?条件がある、拘りがある、欲しいもが沢山ある。ふ〜ん、幸せになるのは大変なんだね。じゃ聞くけど、皆は、それが全部そろったら幸せになれるんだね。一体この世に生きるのに何がそんなに必要なの、貴方の今の生活は、明日は食べる物がなく、水もなく、着る物なく、住む所もなく、死んじゃうの? 今の貴方って、幸せではないんだ?へ〜
じゃあ、貴方は何時になったら幸せになれるの?貴方の人生はずっと幸せを追いかけてゆくの?」
それで、貴方が、この世界を去るときは、一体貴方は何を見つけることができるのだろう。皆さん、貴方はこの星に来た時は、「希望と愛」しかもってこなかったのではないですか。それが何度も貴方がたは輪廻を体験している間に本当の記憶が、徐々に薄らいできてしまっていることにもう、気づいてきていますね。今、この体験を自らが体験する私(貴方)の旅だと分かりますか。今、この星にきて感謝は、ありませんか、歓びはわいてきませんか、日常の不満や恐怖、怒りが貴方を襲っているのでしょうか。それが、貴方の真実ですか、良く自然をみて見なさい。動物達をみて見なさい、空や風、大地の温かみ、夜空の静寂、星の囁き。太陽の愛が分かりますか、地球の営み、愛が分かりますか、貴方は何を差し出しますか、頂くだけいただいてこの世を去るのでしょうか。それでよいのでしょうか、真の貴方は何でしたか。もう一度考えてみましょう。
頑張りましょう、この大峠貴方の真の愛のみせどころですよ。私は貴方がたに愛しか与えていません。それ以外は何ですか、よく理解することです。ではまた・・・ありがとう 愛
汝、愛することと愛を勘違いしてはなりません。全ての存在それは愛、
そうではないと囁くもの、それ誰なのか、よく考察してみることです。