「故郷」
∞確かに
2005/9/10(土)15:20
では始めよう。生きるためにいろいろな真理の教えがあるだろう。だが本来の目的はなんだったのであろう。よく考えてみてください。朝起きて目が覚める、そして一日の始めには、太陽を拝し今日の日を感謝し命に感謝し、深呼吸をして大地に感謝し、まっさらな清らかな思いで日々を始める。朝に一日の幸せを願い世界の平和を願い、心穏やかに初めてゆく者もあるでしょう。
貴方が今ここに来て何をしたいのか、もうそろそろ思い出したでしょうか。貴方はまず、第一に私(貴方)を再確認することでした。そして、全ては何よりあるのかを感じ体験することでした。貴方の喜びとはいったいなんだったのでしょう。何かを与えられ、また欲し、生きることでしたでしょうか。それもある程度はそれで満足していたかもしれません。しかし、その奥には、真の奉仕する心が眠っていませんか。貴方は誰かに尽くす、何かの役にたちたいと思ってはいませんか。人は誰かを、また何ものをも愛し支えることにより、更なる歓びや真心を見つけることができるのです。
私が私がという心は、幼き魂達の思いです。熟した魂達は、「そうかそうかよくやっているねと一歩下がり優しく微笑んでくれているものです。」そして、影になりときには日向になり平和の思いを伝え、祈り奉仕を真の歓びとして、この宇宙の愛の波動と共にあるのです。日々調和の鐘を鳴らしているのです。天下泰平八百万幾満々の神々(愛)が集いし、恒久宇宙の平和を願っているであろう。貴方という神もそろそろ参加してみませんか。
ただあるという意識の元へ、歓びの元へ・・そして光の元へ
さあ、これからが本番ですね。渦中にまかれないよう愛意識でまいりましょう。
ではまたお会いしましょう、ありがとう・・愛より
汝、欠落した部分を思い悩む無かれ
それも私の贈り物だから
∞豊饒
2005/9/23(金)11:56
始めよう。飾らぬ思い、心豊かな思いに私は憩おうのです。古き良き時代を思い出すことはときには必要でありましょう。物があまり豊富ではない頃、貴方がたは分け合うことを尊いとしていましたね。助け合う心を大切にしていました。
昔から困った時はお互い様といいました、またご近所のこともよく知っていたはずです。悪さをする子供も自分の子のように、よくしかったりもしていました。今は、どうでしょうか、なるべく個人の情報を漏らさぬようにと、やっきになってまいりました。法律もできましたね。自分を守るため情報を悪用されぬ為と。それだけみなの心が大切な何かを忘れかけている証拠ですね。
貴方がたが家に鍵をかけているように心にも鍵をかけてしまったようです。どんどん心は壁を作り貴方を守っている?の、ように見えて、その実貴方がたは他の方をどんどん信用できなくなってきたのですね。疑念の色眼鏡で見るようになってきました。それは自分をも疑っていることなのですね。分かりますね、貴方がたがよくたとえる鏡のような話です。
防犯することが必要ないと、いっているのではありませんよ。今の世界ではまだそれはいろいろな魂の皆さんが混在していますので。ただ、もうそろそろこの期を迎えては、貴方がた自身の存在を知り、この人生を理解する時がきています。人生とは何なのか、苦しむため、死んだら全てが何もなく、貴方という存在が綺麗さっぱり白紙に戻されるのか、もう一度よく理解してください。
解らない方は、少しずつ静かに過ごす時間や、公園や自然に、身近なテーブルの花瓶に置かれた花でもよいですから、貴方の五感を解放する(寛ぐこと)練習をしてみてください。何事も続けることです。貴方のペースでかまわないのです。
そして、そうしていると私は変われるとか、何かが聞こえてくるようになるとか、何かが見えるようになるとか、何かを期待しすぎてはなりませよ。ただ貴方の内のかすかな声に耳をすませてくださいといっているのですよ。それがまず、始まりです。とにかく、なんだか分からなくても続けることが慣用なのです。「そして始めてみること、貴方自身が感じることが」・・ほかの方の体験はもうたくさん聞いたでしょう。今度は貴方の番ではありませんか、試してみたくはありませんか、貴方の神聖を・・
ではまたお会いしましょうね・・最愛なる皆様へ・・愛より
汝、語ることをおそれず私を体験しなさい
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